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要旨学習者の語用論的能力の養成は、コミュニケーション能力の重要な一部として、ますます外国語教育界で重視されるようになってきた。異文化コミュニケ―ションにおける失敗は人々の言語能力だけでなく、語用論的能力と深く関わっている。不適切な教材は学習者の語用論的能力の低下、それに異文化語用的失敗の主な原因だと指摘される。しかし国内で異文化語用的失敗に関する研究の多くは学習者のコミュニケーションにおける失敗例のケース?スタディに止まり、教材における語用的ミスについて体系的に扱う研究が少ないようである。このため、異文化語用論的視点から中国の日本語教材を考察する必要があると思われる。日本語教育において、「~たい」「~ほしい」「~てほしい」は従来願望?希望を表す表現として扱われてきたようである。しかし、実際のコミュニケーションにおいても、また先行研究からみても、「~たい」「~てほしい」は希望?願望のほかに、同じ形で依頼や注文、申し出、許可求め及び断りなどさまざまな発話行為が行なわれていることが分かる。したがって、日本語教育上単なる希望?願望表現としてだけでなく、広く語用論的視座から取り扱う必要があると思う。本稿は、日本語上級学習者の願望疑問文と「~たい」「~てほしい」の発話行為についての習得状況を調査し、関連する先行研究を踏まえて、語用論の視点から「日本語教科書データベース」に収められた中国日本語教育主幹科目(総合日本語)教材における願望疑問文と「~たい」「~てほしい」の発話行為の機能の取り扱い方を考察した。日本語学習者の運用上の問題点、日本語教科書の願望疑問文及び「~たい」「~てほしい」の発話行為の機能の扱いにおける不足点を明らかにした。そして、その結果を踏まえ、これからの日本語教材の編纂と日本語教育指導にいくつかの提案をした。